50代の私、遅ればせながら【編みもの】の流行を知る

私のような過去の愛好家は大勢いることと思うけど、若い子の間で編みものが流行しているらしい。これを知ったのは、友達が作ってくれたヘアバンドやニット帽を身につける娘の言葉からだった。

コツコツさん
コツコツさん

アイドルの誰々さんが、作ったものをSNSで発信しバズったことが発端だとか。

なるほど、一度でも検索するとYouTubeでいくらでも勧めてくれるし、テレビでも「100円ショップから毛糸が消えた」などというニュースをみかけた。

編みもの遍歴に郷愁を感じつつ振り返る

毛糸

中学生の時、初めて毛糸を自分で買ってチャレンジしてみたことを思い出す。

当時は100円ショップなどなかった時代。多分、親にお願いして買ってもらったのだと思う。親もさぞ、ちゃんと作りきれるのかと怪しんでいただろう。

とはいえまっすぐに編むだけのマフラーでさえ、とても楽しかった記憶がある。できあがったマフラーをどうしたのか、全く記憶がないのだけれど。

ただ、小学生のころ親戚のお姉さんがプレゼントしてくれた手編みのマフラーは、長くてふんわりと分厚くて軽かった。「自分のと何が違うのだろうか、」そのギャップは埋められないまま、第1次流行は終わった。

大人になってから、無謀にもセーターという大作に挑んだことがある。大作ともなるとそれなりに毛糸も量を使う。できあがったセーターも重量級になる。

かつての彼氏だった主人は喜んで受け取ってくれて、着ることはないが今でも取って置いてくれている。

コツコツさん
コツコツさん

恥ずかしくてとても公開はできません。

ずっしりと重いセーター。今となっては自らの気持ちも重い。主人もきっと私が生きている間は捨てるに捨てられないんだろうな、と思う。

かぎ針にハマったこともある。誕生日にかぎ針のセットを買ってもらった。当時は編みぐるみをたくさん作って、娘たちが大喜びして遊んでくれたものだ。

ほとんど手元には残っていないけれど、少しだけ残してある。結構シュールで味のあるものだ。編みぐるみも今となっては、ちょっと出来の悪い不細工なできのほうが粋な感じがする。

使ってこそ価値がある作品になる

かぎ針

編みものは好きだったけど、できあがっていく喜びよりは手を動かすことの気持ち良さが勝っていたのかなあ。こたつでのんびり、ずっとこうしていたい。

友人に「編みものって貧乏ゆすりと同じなんだって」と言われたことがある。言い得て妙。

セーターは大作すぎて忍耐が足りないし、ニット帽やマフラーはそんなに多く必要ない。編みぐるみはもう大人になってしまった娘たちには必要ではなくなった。

やたらに作っても行き場を失う私の作品。使わないものは価値がない?

せめて使えるものを作りたい、でないと本当にただの貧乏ゆすりになってしまうのではないか。

かつて子どもの友達の家に、細い繊細な糸で編んだレースのテープ(ブレードというらしい)を飾っているお宅があった。「自分で編んだものを飾ることができるなんて、」とそのクオリティーに驚いてしまった。

編みものは好きなんだけど、クオリティーを問われるとくじけるのだった。

ではこの度の流行は何?

スマートフォン撮影

今はインスタグラムなどで作ったものを発信できる時代。昭和っぽかったりレトロなものに光が当たっている傾向もある。

かぎ針編みのモチーフをたくさんつなげている服も見かける。手編み風な小物なども一周回っておしゃれに見える。若いってステキな事だな。

昔とは全然違っているところは他にもある。たくさん作っても、使わなくても、インスタに載せて発信できればそれはそれでゴール。

上手な人はいくらでもいるし、SNSできれいに魅せる手法もみんな知っている。

そして、上手下手を他人が決めるものではない多様性の時代。

自分を貫いていろんなスキがあっていい。自分にちょっと甘くなってもいい。

時代が変わったからではなく早くそれに気付けば、人に見てもらえることにより腕を上げ、もう少し編みもの上手な人生になっていたかもしれない。